題名:

「ヤジルシ−誘われて」

観劇日:

02/11/15     

劇場:

新国立劇場     

主催:

新国立劇場    

期間:

2002/11/12〜12/1       

作:

太田省吾

演出:

太田省吾        

美術:

島次郎     

照明:

小笠原純    

衣装:

堂本教子    

音楽・音響:

加藤陽一郎        

出演者:

大杉連 品川徹 小田豊 吉田朝
  金井良信  金久美子 稲川実代子 鈴木理江子 安藤朋子  谷川清美           
 

 

「ヤジルシー誘われて」

舞台いっぱいに真っ黒に塗られた粗大ごみ置き場が広がっている。つぶれた自転車、トタン板、廃材、ごみ。前方中央部がややくぼんでいて、その上部のごみの中に左右一個づつのTVモニターが置かれている。風の音は聞こえない。埃も舞い上がらない。におひもない。

島次郎の装置は、圧巻である。圧巻というのは、この芝居が演じられる世界を圧倒的なリアリティ?で表現したことであるが、もうひとつ、この素材が何であれ、圧倒的な費用がかかったであろうと想像されるからだ。国立劇場の良さはこういうところに出るなあと、ひそかに安堵した。

さて、転形劇場の存在は知っていたが、どうも食わず嫌いで一度も見たことはなかった。沈黙劇という形式が、僕の性に合っていなかったという理由が大きい。その沈黙に耐えられないのではないかと心配しながら観たが、終わってみればなかなかに知的興奮をさそう芝居だと感じ入った。

中央部のくぼみには、マンホール位の大きさのフタが仕掛けてあって、冒頭、そのフタを持ち上げて、仮面の人が首だけを出し、新聞を広げる。すると、くぼみにランダムにしつらえられた7〜8個のフタが次々に開いて同じような仮面の人物が現れ、新聞を、くぐもったぶつぶつ声で読みだす。そして、それぞれが、新聞紙の一枚一枚を読み終わる毎にそこいらにまき散らし、朝刊十数枚がそんなふうにすべて終わると今度はそれをかき集め、穴の中に戻すのである。全部戻し終わると、フタを閉めて、舞台はもとの真っ黒のごみ置き場になる。ただそれだけのことである。だが、不思議なことに、僕はとてもアナーキーな気分になって、時を忘れた。と言うのも、言葉になりそうでならない、想念ともいうべきものが浮かんでは消え、この情景こそ僕のいらいらの原因ではないかと忙しく考えていたからだ。この間何分経ったのか。TVなどで観たらとても耐えられる時間ではない。それが沈黙劇〈正確には違うようだが〉の始まりだった。

さらに、舞台最奥部から引きずるほど大きな紙袋を下げ、片手にハンドバッグを持った女が現れ、ゆっくりと一歩一歩踏みしめるように歩いてくる。いらいらするほどゆっくりと上手前方に向かい、立ち止まって袋からとりだしたキュウリを一口かじると、方向を変えて下手へ歩き出し、そして消える。この間無音である。 このシーンは、ほんの少しだけ変えて、最後にもう一度現れるのだが、女優、安藤朋子はこの二つを、顔の向きなどによって、微妙に演じ分けていた。緩慢だがしっかりと踏みしめる歩み、弛みのない動作、中空を見つめる能面のような顔。かなり稽古をしたのだろうが、無の境地に入ってなお緊張を持続するといった表現で、観客の目をそらさない存在感を示した。ここまでやればもはや怪優と言ったほうがいいかもしれない。

全体は、一組の夫婦がさまざまの場面でさまざまの人々と出会う複数のエピソードで構成されている。とはいえ、格別のストーリーなどはない。言葉は明りょうに語られるが、せりふはリリックでも、アフォリズムでも、象徴的でもなく、まとまった意味をあらわすことを拒絶しているようにきこえる。しかし、そうした表現には何か根源的な動因があって、その深い光源から照射された何かの影を観ているような気もする。 夫婦のひとり、大杉連は、夢の中の自分を見ているようなとりとめのない、しかし終始緊張を解かない表情で、その影のようなものを懸命に表現しようとしていた。強いて言えば、夢の中の自分を見ている、それを眺めているもう一人の自分、の様なふっ切れた余裕をみせてもよかったのでないかと思う。

それに対して、金久美子は、すでに挫折しているせりふの一つ一つを丹念に吟味して、その言葉に表情と生命感を与えることにみごとに成功した。この女優は、一度だけ見たことはあったが、これほど才能豊かとは思っていなかった。

それにしても、このような表現の形式を採用するわけは、どこにあるのだろうか? それぞれのエピソードの間には、TVモニターに「(盗用されたテキスト)」と言うテロップが流れるが、これが手がかりを与えてくれる。主として書籍のタイトルで、古典、哲学、経済、科学、詩、小説、戯曲、評論、埴谷雄高、まんが(個別のタイトルを忘れてしまった)と恐ろしく幅広いジャンルの中から「盗用」されているのである。無論直接的にテキストがせりふの中に採用されているわけではない。それは、当該エピソードをイメージさせた契機あるいは遠因を示唆しているのではないかと考えたが、(それにしても、作者の教養はいかばかりかと驚嘆させられる。)同時に、それによって、この芝居が持っているヤジルシ、つまり作者・演出家の関心がどこを向いているかについても見当がつけられる。

「演劇は、社会的価値や意味を語るためのジャンルではなく、存在の意味を語るものだ。・・・存在物語を語る一種のメディアとしての」(公演パンフレット、哲学者古東哲明と太田省吾の対談より=このパンフレットの編集は極めてよくできている!)演劇を目指したと太田は発言している。なるほど、舞台の上で存在論を展開しているのかと得心のいくところもある。ヤジルシは「世界−内−存在」と「時間−内−存在」を同時に象徴する記号といってもいい。

「社会的価値や意味」については、太田の方法に同意する形で古東哲明が語る。 もともと僕らは「世界は劇場。人生は演劇。人間は役者。」と言ういわば演劇体制の中を生きている、と言うことを前提に「・・・そのように演劇体制という社会の中に埋もれている僕たちを、そこから一回引っ張り出してきて抜け出させ、その上でこうして日々生きている日常の生や世界をいとおしく思う眼差しに変容させていく芸術形式。それが演劇ではないか。だとするとたとえば評伝劇のように何かを再現したり「要約」された知識を伝えることは、演劇の本質ではないのではないか。・・・」

つまり、出来事〈物語りといってもいい〉を語ったり、啓蒙的なテーマを持った演劇は、社会的価値や意味を伝えるもので、必ずしも演劇というジャンルで表現する必要がないではないか、と言うのである。 しかし、これは明らかに「存在物語」を擁護するあまりの、言い過ぎであろう。 近ごろ評伝劇が目立つということを念頭に置いた発言だと思うが、過去に生きた人々の物語を語ることには、それによって僕たちの未来を思い描きたいという、この時代の願いを見ることができるし、要約された知識の表現であっても、そのわずかな時間が、日常性を打ち破る祝祭と感じることができればそれも演劇に違いない。要は、受け止める観客の問題だからである。

太田の発言にもあるが、近代、特に自然主義文学のあたりから、小説も演劇も啓蒙的であることを目指してきたが、彼は若いころからそれに疑問を感じたという。戦後、人間の真実はそこにないとして、社会性や意味を、あるいはそれまでの演劇を否定する動きが出てきたのは周知の通りであるが、彼もまたベケットやイオネスコ、ハプニング劇などと同時代のひとである。少し脱線するが、この時代のことを山崎正和と丸谷才一が対談の中で「不幸な時代」といっている。 「山崎:・・・非常に偶然性を重視しましてね、構成とか、構築とか他者との共有ということは二の次に考える。演劇も1960年代、70年代あたりは非常に不幸な時代だったと思います。 丸谷:アングラは演劇の自己破壊的情熱のあらわれでしたからね。」(「日本語の21世紀のために」文春新書より) 「ゴドーを待ちながら」の民芸初演が大騒ぎになったことを思えば、何だかおかしくて笑ってしまうが、僕は、こういう見方は当時も今も正しいと思っている。

しかし、ヤジルシを見て、丸谷の言う自己破壊的情熱を突き抜けたところに、つまり、反演劇の先に何も描けなかったベケットなどに比べて、むしろその主題を止揚した場所に太田省吾の演劇が成立していると感じることができた。にもかかわらず、存在を語るのが演劇の本質だということをことさらのように強調するのは不思議な気がする。そんなことは観客が決めればいいことだ。少し酷な言い方をするが、「不幸な時代」と言う負い目に対するいいわけのように聞こえるのは、僕だけだろうか?

そもそも太田がいっている「存在」とはなにか? 存在とは、われわれがそこにあるということであり、それを物語るということは、そのあり方を語ること、演劇によって見せること、をいう。言い換えれば、我々の「現在」を根底からとらえて、それを語ることである。我々が生きている「現在」我々の実存の諸相をその本質において一挙に開示しようと思ったら、こういう方法しかない、といっているのであろう。

しかし、社会的価値や意味からもっとも遠いところで創造活動をしていても、結果的に、それ自身が一種の文明批判、問題提起としてとらえられることから免れない。

観客は太田や古東が考えるよりも、もっと貪慾である。 古東はその社会的価値について語っている。 「1600年くらいからの400年間を近・現代としますとそのベースになっている原理は、ドロモロジー〈速度体制〉です。・・・前へ先へと競って争うよう追い立て駆り立てる原理・体制・・・最終的に求めるのがスピードと効率です。・・・その人類社会を突き動かしているドロモロジーと言う根本構造に太田演劇は刃向かってきた。・・・」〈こうした主題は、ポスト資本主義の重要命題である。〉 また、太田自身が古東の著作「ハイデガー=存在神秘の哲学」からニヒリズムについての記述に影響を受けたといっているが、古東は「人類はユートピアを目指してきたが、特にベルリンの壁崩壊を境にどこを目指していいかわからなくなった。もともと宇宙全体が究極根拠も目的もないものなのだから、さしあたり何もない状態に身を置いて〈=ニヒリズム〉それを豪奢に容認しよう。」という意味だと説明している。

こういう視点は、言うまでもなく僕たちが置かれた状況認識であり、問題提起である。そのような思想を内在させながら、社会的価値や意味と無縁であるとはいえないだろう。 もともと「存在」とは存在論としてあるべきもので、ここで言う存在物語も太田が考える存在論である。その論考のよりどころが「〈盗用されたテキスト〉」であり、それらはすべて、「人間の現在」を乗り越えていこうとする人々の営為であることを考えれば、太田の仕事はすぐれて同時代的な意味をまとっているといえる。

それにしても転形劇場18年を支えてきた観客のレベルの高さを思うと、驚くとともに、うれしくもなる。(11月29日)

 


新国立劇場