題名:

夢の泪

観劇日:

03/10/10     

劇場:

新国立劇場

主催:

新国立劇場  

期間:

2003年10月9日〜11月3日

作:

井上ひさし

演出:

栗山民也

美術:

石井強司  

照明:

服部 基  

衣装:

前田文子

音楽・音響:

宇野誠一郎  

出演者:

野卓造 三田和代 高橋克実 
藤谷美紀 福本伸一 熊谷真実
石田圭祐 キムラ緑子 犬塚 弘
演奏 : 佐藤一憲 佐藤 桃
木下和人 佐藤拓馬 朴 勝哲
 


「夢の泪」

 東京裁判三部作第二部、初演の二日目である。遅筆堂の本(台本)がいつ上がったか知らないが、せりふが入っていないのではらはらしながら観ていた。もっとも将校クラブの歌手、ナンシー岡本(熊谷真美)とチェリー富士山(キムラ緑子)が同じ持ち歌の所有権を巡ってののしりあうところだけは妙に年季がはいっていて迫力があった。ここだけ先に出来ていたのかもしれない。しかし、その内容となると争うだけの根拠が薄弱で、いづれ名前は違うが同一人物の作曲家にたどり着いて一件落着という結末が見えている。進駐軍の酒や食い物を弁護料に法律事務所の調査員田中正(高橋克美)が、横浜だの埼玉だの調べ歩いて、「やっぱり」という事情は判明するが、何だか疲れる話である。それよりも角野卓造、三田和代に精彩が欠けていたのが気にかかった。弁護士と言えども戦中戦後の世すぎみ身すぎに苦労はあったというのはわかる。しかし事は東京裁判である。前回第一部の「夢の裂け目」は紙芝居屋が主人公だから庶民感覚で終始してよかったが、この芝居では主人公伊藤秋子(三田和代)、伊藤菊治(角野卓造)が弁護士である。裁判や法律の専門家としてこの大舞台とどう向き合うのかということに戸惑っているように見えた。これは演出の栗山民也の困惑でもあるが、もとはといえば井上ひさしの混乱である。その事は後にしよう。
 この芝居は開幕から出演者の合唱である。歌が多用されるのはいいのだが、今回のはどうも感心しない。「頭痛肩こり・・・」など美しいメロディを持つ芝居がいくつもあるのに、同じ宇野誠一郎にしては不出来である。稽古不足ももろに現れていて、ききづらくて困った。この芝居の狂言回しとも言うべき秋子の連れ子永子(藤谷美紀)の存在が戦後の日本社会を担う希望と見えて、唯一安心してみることが出来た。藤谷は最初の(1987年)「国民的美少女」ということだから設定の年齢は超えているはずだが、その初々しさは変わらず、人柄のまじめさ、一生懸命さに好感がもてた。「わたし判らない」と素朴に歌う独唱が少しはずれてもお愛嬌で、どこかうろんな出演者の中でもっとも光っていた。この秋子を慕う学生の片岡健(福本伸一)は朝鮮国籍の青年で、新橋のヤミ市を仕切る新橋片岡組組長代理である。後に秋子と一緒になるが、このころ対立する日本人やくざとの抗そうで、足を折られ秋子達にかくまわれる。警察はやくざと裏でつながっていて、結局片岡組は新橋を追われ、18才の秋子は日本社会の裏側をかいま見ることになるのである。この三国人といわれるグループとやくざの出入りのエピソードは確か実際にあった話だと思うが、伊藤弁護士との関わりもたいしたことはなく、東京裁判という主題ともどのくらい関係があるのかやや疑問のところである。つまり、ああいう形の国籍のあいまいさや差別の問題は存在したが、ここではどうもとってつけたような印象を免れない。
 これに反してまったくの想像に違いないが、進駐軍の法務担当大尉、ビル小笠原(石田圭祐)はいかにもいそうな人物像である。こちらははなからせりふは出来ていたのだろう。有能そうな軍人官僚をあい変わらず達者な石田が好演していた。
 さて問題は、伊藤弁護士夫妻である。
 伊藤秋子は突然、元外務大臣松岡洋右の弁護を頼まれてうろたえる。名前を売る絶好のチャンスとみて夫の伊藤菊治も喜んで協力しようとする。ところが弁護料をもらえる保証がない。そこで街頭カンパを行うのだが、戦犯の弁護に寄付するどころか石を投げつけられる始末。結局占領軍から支給されることになって、嬉しい反面どうも釈然としない。そこまではいいのだが、二人はどのような論旨で無罪を主張するか考えあぐねている。
 東京裁判は、ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判をモデルにしている。すなわち「平和に対する罪、人道に対する罪」を問うというものだが、これは後から出来た国際法で過去を裁くといういわゆる事後法で、有効性は始めからあやしい。チャーチルがナチスの連中に裁判は要らないといったものをスターリンが制止して法的に裁くことにしたという皮肉は今回初めて知ったが、それもありかと笑うしかないと思った。どの道勝てば官軍、敗者には負けたことを思い知らせなければならないのである。
 伊藤夫妻は、この点で争っても仕方ないと思う。むしろ、日本が戦争に追い込まれていった過程を説明して、外交の責任者だった松岡の立場としてもやむを得ない選択だったことを主張しようとする。しかし上海事変、支那事変、満州事変と並べてみて伊藤秋子は愕然とする。皆パリ不戦条約違反ではないか。また、証拠品として役立ちそうな文書の類いが大量に米本国へ持ち出されていることともわかった。(この間の占領戦略の巧みさを示す様々のことが紹介されて興味深い)これでは弁護が成り立たない。そうこうしているうちに結核が末期になっていた松岡があっけなく亡くなってしまう。取り残された夫妻もやがて戦後の混乱期を乗り切って・・・。
 井上ひさしは、この芝居で東京裁判の性格をざっとおさらいするように描いた。それは、この法廷がナチスという怪物を裁いた法と同じ概念で日本の戦争責任者を裁こうとしたものであること、日本の侵略戦争が国際的には弁護のしようがないものであること、とりわけ、国民が戦犯に戦争の責任をかぶせて、裁判には無関心であったこと、などである。
 ところがこの芝居で伊藤夫妻は、この戦争をどう思って戦中戦後を過ごしたのか?ということに触れていない。松岡洋右が国際連盟脱退の演説の後ふてぶてしい態度で会議場を出る当時の映像は今でも時々で目にすることがあるくらいだから、この弁護士インテリ夫妻に多少の社会論評があってもおかしくはない。女癖の悪い中年弁護士に連れ子で後妻に入ったという設定はいかにも庶民派でいいのだが、大物外交官の弁護でただうろたえているのはどうか。「角野卓造、三田和代に精彩がない」と書いたのは、そういう人物造形に欠かせない要素が抜けているのは不自然ではないかという疑問であった。
 そもそも井上ひさしは昭和庶民伝でも普通の市民の戦争責任というテーマをおもしろおかしく舞台にのせてきた。東京裁判三部作(第三部はこれから執筆)もこの延長にあると思えば、つまりは極東軍事法廷の意味を問うのが目的ではなくて、戦争の責任を東条英機を始め戦犯に負わせ、自らは頬カムリを決め込んだ庶民の態度を告発するということならテーマは一貫している。その庶民の代表が今回はたまたま弁護士だったにすぎないのだから裁判のゆくえそのものは主題ではないというのだろう。このように庶民とか善意とか正義とか一見清く正しいと見えるものが実は一番危険なものだという警告は今にも通じる話で、それなりに説得力はある。しかし、あれから時は十二分に流れた。あの純粋な少女伊藤永子が生きていれば、既に75才である。井上ひさしが「あなた方は無責任だった」と告発しようとしている庶民のほとんどはこの世にいない。
 東京裁判が庶民の無責任の象徴という見方があっても構わないと思う。しかし、庶民というのがくせ者で、一体これは何ででき上がっていたかといえば、結局のところは「情報」である。庶民が自分で物事を考えていると思っていてもそれは誤解である。その考えはメディアが提供する情報によって成り立っている。(だから最近メディアリテラシーが問題だと言われ始めた。)したがって、本当は庶民の考えを誘導したメディア、とりわけ新聞の役割は極めて大きい。新聞は戦後自分の責任については完全に頬カムリをしてしまった。戦地から帰還した朝日新聞記者のむのたけじがこれに抵抗して辞表をたたきつけたのが唯一反省の態度であったと記憶する。戦争責任について真に告発されるべきは新聞であると井上ひさしには言いたい。
 むしろ、東京裁判について重要な観点はA級戦犯の靖国合祀の問題である。演劇人の傾向として、「現在」の論点がどこにあるか判っていないことが多いような気がするので、この際簡単に私見を述べておくと、戦前においても日本は法治国家であり、大東亜戦争に限らずすべて帝国議会を通じて予算が決定され遂行された。従って戦争の責任がどこにあるかと言えば議会、代議士つまりは国民にあるということになる。A級戦犯は「平和に対する罪および人道に対する罪」という国際法に照らして裁かれた。これが事後法であって法理論的に被告はすべて無罪であることは明らかである。GHQがこの法の下に誰を告発すべきか(満州事変の)石原莞爾に尋ねたところ「それは原爆を落としたお宅のトルーマン大統領であろう」と平然と答えたので聞いた将校の顔色はなかったという。同じ法で敵の大将も裁けるという曖昧模糊とした根拠を皮肉ったといえる。外国には東条英機はヒットラーに匹敵する独裁者などという誤解もあったが、真実は彼がたまたま当時の軍官僚組織のトップにいたに過ぎない。しかも、戦争を早く終結したい天皇の強い意向を受けて東条は組閣したのであって、本当に独裁的な力があればもっと早い時点で戦争は終わっていたかもしれない。問題とすれば、今にも通じることだが、官僚という組織が問題解決の能力は優れていても、未来を生みだしていく(フィードフォワード)戦略立案能力(本来は立法府のもの)に欠けていることに早く気づくべきだった。
 ともあれ、東京裁判は日本側弁護団も精いっぱいの抵抗を示して終わった。そして最終的にはサンフランシスコ講和条約の中で、裁判結果を受容する旨明記して今日に至っている。つまりあれに関してもう文句は言わないというのである。
 一方この戦争の最大の被害国である共産中国は国交回復と同時に、こんどの戦争は日本帝国主義の一部の指導者(つまりは東京裁判の被告)によって引き起こされたものであり日本国民はむしろそれに巻き込まれただけという見解を示し賠償請求権を放棄した。
 ところが、まもなく当時の野党日本社会党の訪中団がA級戦犯の靖国合祀の件を告げ、これを日本の総理大臣が参拝するのはけしからんと中国をたき付けたことから、東京裁判の問題が再燃したのである。中国にしてみれば恩を仇で返されたようなものだから激怒するのは当たり前である。しかし、中国がどのように寛大であろうと、日本国民が一部帝国主義者に戦争責任を押し付けて自らは免罪されるという考え方には強い抵抗感があるし、東京裁判の根拠にも疑問を持っている。また国内のどこの神社を参拝しようと外国が文句を言う筋合いではないというのも正当な主張で、この点を言い争ってもあまりいい落とし所はないように見える。
 中国が言った戦争指導者と日本人民をわけて考えるというのは、日本の左翼や知識人の中に早くからあって、それは、左翼にとってもそのシンパである知識人にとっても革命には好都合の考えだから採用されたのだが、それが責任を転嫁する庶民の頬カムリ論を生む結果になっていると僕はにらんでいる。そのように国民をきれいに二分することなど始めから無理な話なのだ。冷静に考えるなら、国が始めた戦争の責任は国民にある。ドイツにしてもナチスを制止できなかった国民に責任はある。戦争当事者同士がお互いを裁く法的根拠は存在しない。(あえていえばケンカ両成敗という習慣法?があるが。)
 日本が戦争中アジアでやったこと、その責めはわれわれが末代まで負うことを覚悟しなければならない。しかし、何事も「時が解決する」とは古人の言葉である。お互いに忘れて新たな関係を結ぶまで、ひたすら耐えるほかないということだろう。
 僕は、井上ひさしが東京裁判三部作でこの裁判に多少とも関わった庶民の姿を通して、あの時代の状況を伝え残したいと考えていると思う。それはそれでかまわない。しかしこの芝居に限っていってもいいが、ややステレオタイプになっていて、話が面白くない。エピソードの組み合わせもよくない。第一啓蒙的な臭みが鼻につく。
                        (2003/10/23)

 

 


新国立劇場