<%@LANGUAGE="JAVASCRIPT" CODEPAGE="932"%> 新私の演劇時評
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「僕たちの好きだった革命」

あまりの馬鹿馬鹿しさにあきれて、やたらに高いパンフレットを買わずじまいだった。そのために役名と俳優の名前がよくわからないけれど、分からなくてもすむように書き進めたい。
物語は概略こうだ。
1969年、学生運動が盛んな頃の事、高校生だった中村雅俊が自治会活動かなんかでデモをしている最中に、機動隊の催涙弾の水平撃ちを頭に受けて昏睡状態になり、そのまま眠り続けた。その間母親は亡くなって、叔母が面倒を見ていたが、この度三十年ぶりに覚醒した。
中村雅俊は、もう一度高校生に戻ってやり直すことにする。 拓明高校の三年に編入してみると、どこかで見たような顔がある。片瀬那奈は、中村雅俊のかつての学生運動仲間の女友達にそっくりであった。それもそのはず、母親がその友達であった。この母親は、大学の学生運動に参加、恋人を内ゲバで失っている。以来、運動にはナーバスで、娘の動向に過剰反応を見せる。
また、この高校の教師をしている大高洋夫は、中村雅俊の一年先輩で拓明高校時代は生徒会会長であった。大学時代に片瀬の母親と関係があったらしい。卒業後教師として母校に戻っている。
中村雅俊は、何かといえば、生徒をまとめて学校と対立しようとする。つまり、三十年前のやり方で、高校生活を送ろうとしているのだ。学校の教頭はじめ、教師の大高も快く思っていない。
中村についていくものは、片瀬と森田彩華、それに男の子二人ぐらいだが、正規の生徒会の会長らは気に入らない。学校当局も警戒している。文化祭の出し物を検討していううち、中村らは人気のラッパーに出会ってライブコンサートを計画するが、これが学校に知れて、反対される。生徒は歓迎だが、混乱を恐れて学校は文化祭そのものを中止にしてしまう。中村らは生徒の自治を要請して立ち上がろうと呼びかけて、アジビラをまき、マスコミを巻き込んで闘争を開始する。
文化祭当日、ロックアウトした学校の警備が破られると、続々生徒が集まってきてコンサートは行われる。教頭は、ついに機動隊を導入して排除する事を決意。
三十年ぶりに出動の命を受けた機動隊の隊長は「やってやるぜ!」とばかり張り切って出かける。空には取材のヘリコプターが舞い、女性キャスターは金切り声を上げて実況中継。混乱のさなかに、機動隊の若者が放った催眠銃の弾が中村の頭を直撃して、今度はほんとうに死んでしまう。
エピローグで、片瀬らがいなくなった中村の空っぽの机を見ながら、懐かしくも寂しい思いを確かめあう。
いわゆるタイムスリップものの一種と思えばいい。
主人公が、過去でも未来でも「現在」から突然別の世界に迷い込んで、そこで起きる「くい違い」のドラマを見せるものだ。

この劇では、中村雅俊が、アコースティックギターを弾きながらフォークソングを歌う場面があって、1999年の高校生は「これがフォークというものか」と感心したり、逆に中村が、知らない言葉やギャグに戸惑うなどくい違いを見せる小技が時々挿入される。

この手の話で思い出すのは、2004年11月に見た演劇集団「キャラメルボックス」の「スキップ」(作・演出:成井豊)である。(http://www3.zero.ad.jp/ryunakamura/comment/skip.html

タイムスリップといっても、こちらはある朝、目覚めると17才の高校生一ノ瀬真理子が42才の主婦になっていたという話。この主婦は高校の教師をしていて高校生の娘がいる。25年の歳月を「スキップ」して自分の知らない「未来」へ来てしまったのだ。

女子高生の夢想みたいな荒唐無稽のところはあったが、根底に変化した状況を前向きに受け入れようとするすがすがしさと、何よりもしっかりした比較文化論があった。現役の高校教師でベストセラー作家の北村薫の原作がもともと「筋のいい」SFだったのがよかった。「筋悪」とはただの現実離れとでもいえばいいか。どこを探してもリアリティのないストーリーのことだ。
この芝居の中村雅俊は、構造的には「スキップ」の主婦と同じである。違うところは三十年経ってしまった事を受け入れられないでいるところである。これではただの頑固爺と同じ事になってしまう。こんな頑固爺は単なる笑いもので、その冗談みたいなものに感動してついて行くガキなどありえない。

しかも、いまどき学内でラップのコンサートをさせないなどという硬派の学校があったらお目にかかりたいものだ。ロック歌手が学園祭で稼ぎまくっている世の中ではないか。何故そんなバカな話になってしまうのかは、時間の差、つまり「過去」をどのような時代として捉え、「現在」を何と捉えるかという視点が定まっていないからだ。

開幕してすぐに学生運動のもっとも激しかった頃のニュースが舞台上の幕に大きく映し出される。この中で、一本の角棒を5,6人の横隊が抱えその後ろに頭を下げ互いの身体をつかんで蛇行するデモ隊があった。何故そうするかといえば、彼らよりはるかに体力のある機動隊がデモから一人一人引きはがそうとするからである。
その怒号飛び交う騒然としたデモ隊から聞こえて来る声に耳をすますと、あろうことか「わっしょい、わっしょい。」といっている。
思わず「鴻上のバカ、死ね!」と叫んでいた。お祭りだと思っていやがる。こういう認識だから、話にリアリティがなくなり、「こんなバカな劇があるものか」と思わせてしまうのだ。当時、デモ隊は(早大全共闘の文字が入ったヘルメットを持ってきたから「中核派」だったのだろう、ならば)「安保粉砕、闘争勝利」とくりかえしていた。
それをたいした考えもなく、若者がわいわいやっているのを三社祭かなんかと同じものと認識したのだ。その頃の若者がただやみくもに反権力を唱えてプロテストしたと捉え、それが若いという事の特権だとでもいうのなら、「わっしょい、わっしょい。」でいいかもしれない。もっとも、それではあれ以来、日本社会に若い者がいなくなってしまったことなるが・・・。

「安保粉砕、闘争勝利」は何れにせよ、なんといっても日米安保条約批准を阻止し、革命闘争を勝利するという政治的示威行動であった。ということは、その時代の社会的政治的文化的主題と切り離しては考えられない事である。しかも、68年〜69年にパリのカルチェラタンはじめ、サンフランシスコ、ロスアンジェルス、さらに欧米の都市で起きた学生の行動に呼応するようにして、日本でもそれが起きた。
たった三十年やそこらで、これを文明史論的に概観するだけのパースペクティブはまだないかもしれないが、まず、あの時代の若者たちは「何故、何を考えて、あのような行動を取ったのか」をじっくりと考えて見る必要があった。タイムスリップする一方の基点である「過去」をとりあえず印画紙にしっかりと定着するのである。
そして、ドラマの骨格を支えるもう一方の基点である「現在」、これをどう捉えるかは難問に違いない。しかし、すでに基点は存在する。そこから照射して見えてくる風景をどう解釈すればいいのか。
機動隊のような権力を生で感じるものはもはやどこにもない。権力の気配は感じる事が出来てもそれは巧妙に見えなくなっている。あれほど堅固だったベルリンの壁はあっけなく崩れ、社会主義革命の夢は胡散霧消し、労働者が獲得した権利は無残に侵食されていく。
狂乱のバブル、それに続く長い不況、ケータイ電話、フリーター、出会い系サイト、マンキツ、非正規雇用、ほりえもん・・・・・・。
鴻上尚史は、もともと現代風俗をテーマに文明批評ともいうべき鋭い視点で劇を紡ぎ出す名手だと思っていた。「ピルグレム」の発想は、戦後日本の文化全般を彼らしい手法で分析し、日本の未来をみせようとしたものだ。

しかし、この劇では何という醜態をさらしたものだ。なんという後退、なんというバカさ加減。恐るべき時間と労力の無駄。
三十年前の学生運動の本質はどこかへ置き去りにして、その形だけを「現在」に再現しようとする「無意味」。いまの高校生が抱えている問題に何一つ言及しない「不可解」。

鴻上尚史もやきが回ったらしいと思っていたが、これには原案だか企画だかあったらしい。鴻上の名誉のために、この映画監督、堤幸彦の罪状も上げておかねば不公平だろう。

これは、堤が暖めていた企画で、もとは映画のためにあったシノプシスだったという。堤は長年、あちこちにこの企画を持ち込んで映画化をもくろんでいたが、どういうわけだか、だれも金を出すものはいなかったという。

ある時、堤が鴻上にこの話をしたらしい。

映画屋というものは、恐ろしくおしゃべりな人種である。放っておけば一日でもしゃべっている。これがまた、自分の作ろうとしている映画のイメージを速射砲のように繰り出して、聞いているものに口を挟ませない勢いである。それが、映画になってがっかりする前の事だからやたらと感傷的に、十分興味深く、面白く、美しくさえ聞こえる。彼らの口説によれば素晴らしいものになるに違いないと感じるのが実に不思議で、この点詐欺師も裸足で逃げ出すようなものである。

鴻上尚史は見かけと同じで正直者なのだろう。堤幸彦のおしゃべりに聞き入っているうちに、自分が舞台にのせるべき極めてファンタスティック話ではないかと思ったに違いない。こんな話は今どきハリウッドでも相手にしないと思わなかったのだろうね。
映画屋というものは、恐ろしいものである。

このあいだ、民主党の永田という若者が起こした「ガセメール事件」というのがあった。Web上で僕らのあいだではすでに「ガセ」を流した前科のあるかなり怪しいジャーナリストの存在はよく知られていた。この怪しいのが、「情報」を売り歩いている噂を聞きつけたと思った途端に永田センセが引っかかった。よく引っかかったと感心して笑ってしまったが、それが経験不足というものだ。世の中は皆正直者で出来ていると教えられて育つから、だまそうとする奴に出会うまでは、よもやだまされるなど露程も考えない。永田という若者はバカだったわけではない。ただ単に自分が若いという事に気付かなかっただけの事だ。いい勉強になったろう。

鴻上尚史は、若者といえる歳ではないが、人にたぶらかされた事はあまりなかったと思う。映画屋と仲良くしたという話もあまり聞かない。だが、この度は堤幸彦のおしゃべりにすっかりその気にさせられたようで、あらためて映画屋というものはおそろしい、と思った。

このとんでもない愚作の責任の半分は、正直者としての鴻上が負い、半分は、映画屋の堤幸彦が負うべきだろう。たまに日本映画を観る事があるが、99%がっかりして見なけりゃよかったと映画館を出る事になる。ハリウッドものも同じようなものだ。

何故だろうと考えて見たが、今回の劇を観てはたと気がついた。
要するに「思いつき」から類型的なパターンを経て類型的なパターンで終わるケースがほとんどである。このモデルはハリウッド方式をまねしているにすぎない。「思いつき」とは何かといえば、一見して話の種になりそうなものだ。話の種は畠に植えて水をやって育てなけりゃいけないのに、ろくな手入れをしないからまともなものに育たない。この際畠とは、しっかりした時代認識であり、水とはそれを考える思想の事である。

映画学校は、映像表現など教える前に「哲学」の学習をさせるべきだといっておく。日本には世界に誇る北野武がいるではないかというむきもあるだろう。僕は昔一本だけ見た事があるが、評価するに値せず、コメントする言葉もない。

ひどい劇にもかかわらず多くの観客が入ったのは僥倖であるが、それは単にモデル出身の片瀬那奈や美少女何とかの森田彩華をはじめテレビでよく見かける顔を揃えたからで、そういうもの見たさに来た客である。タレントの仲間内も見かけた。

ちなみに、辰巳琢郎が斜め前で見ていたが、始めは大声を出して「はっはっはっ・・・」と大人のように笑っていたが、進行するに従って次第に笑いがこわばってきて、二幕目は寂として声なしの状態になった。彼は実に教養ある人士である。

 

 

題名:

僕たちの好きだった革命

観劇日:

07/3/9

劇場:

新宿シアターアプル

主催:

サードステージ 第三舞台

期間:

2007年2月28日〜3月11日

作:

鴻上尚史
原案: 堤幸彦

演出:

Director

美術:

Art

照明:

Light

衣装:

Dress

音楽・音響:

Music

出演者:

中村雅俊 片瀬那奈 塩谷瞬 森田彩華 大高洋夫  長野里美  陰山泰  菅原大吉  田鍋謙一郎  澤田育子  武藤晃子  今村裕次郎  藤榮史哉  橋朋典  幸田恵里  田実陽子  渡辺淳  木村悟
ポスター